ひめらいさん、お久し振りです(^^)/
ご意見ありがとうございますm(_ _)m
「他国の蛮族後は関所まで一時撤退」とのご提案ですが、この理由をご教授いただきたいですm(_ _)m
いやあ〜、コリアン強い!!!
フルボッコにされました!w
、、、日本人にもボコられましたが、、(^^;)
今回の争覇の結果でトーナメントやっても面白いのになあああ

日本人は3人しか出られないですがww
話しがソレましたw
少しずつご意見が出ている所で、
“国戦蛮族時の関所越え禁止”について、
厳し過ぎるとのご指摘が多く出ており、“ルート妨害禁止”への緩和が今回の意見交換の柱の一つなワケですが、
このルールを設定した経緯を伺っておりますので、ここに公表しておきます。
“ルート妨害禁止”とすると、
蜀の出口二つ(綿竹、武陽)は共にルート上になります。
よって、他国は蜀の50%城に侵攻する事が出来ません。
これに対して、蜀は魏の50%城(かんたん、朝歌)にも呉の50%城(東興、建平)にも、ルール上は侵攻可となります。
このことが不公平だとして、“関所越え禁止”に設定されたようです。
当時の蜀王のお人柄が良く分かるエピソードですね(^^)エッヘン!!
って、私が威張ることでもないですがw
“ルート妨害禁止”に緩和が決まって、後になってから「コレ不公平じゃん!蜀だけズルい!!」と揉めないように、
このことを踏まえて、意見交換を進めていただきたくm(_ _)m